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批判とか批評とか

まいどどーもゆきむらです

なんかtwitterで『好きなものを批判されたらその好きだったものすら嫌いになった』とかを描いた漫画が話題になってました。
多分どこかのサイトにまとめてあると思うので場所は割愛。

まぁ好きなんだけど、というのが認められなかったのをこじらせたらそうなっちゃうのもわからなくはないかなぁと思う次第です。
その場合にそれでも自分は好きだよ、と言える人がどれだけ居るか。
結構人は言葉に影響されやすいと思います。

批判も批評も好きにしていいと思いますし、それを聞くか聞かないかはまた受けて次第。
人それぞれという便利な言葉になってしまいますが、万人に受けるものというのが無理な以上、批判も批評も出て然るべきです。
どうしても触手がダメな人に、この触手ゲームいいよ!って言っても通じないのと同じことですね。
何故触手なのかは謎。

問題があるとしたら言い方、伝え方なのかなぁと思います。
漫画のケースにおいても、言い方がスマートであれば「あぁ、この人には合わなかったんだな」という解釈になってるのかもしれません。
逆に伝え方が否定的すぎると、作品ではなく自分が否定されてしまっているような錯覚すら覚えさせることができます。
もちろん受け取り相手次第ではありますが、可能性はゼロではないです。

つい余計なひと言とか、言わんでもいいことを言ってしまって、それに反応されて望んでない展開になってしまうケースって、心当たり有りませんか。
自分は結構あるのかもしれない(。ω。

合わない場合としても、これはクソ、とか一方的な形ではなくて、●●が▼▼だったんで自分には合わなかった、とかなら意味のある評価になるのかなぁと思ったりします。
たまーに、1シーン気に入らないところがあったから全体がダメ、という人が居ますが、気持ちはわかるが落ち着けと言いたいところ。

完全にその人を満足させれるものって果たして世の中にどれくらいあるのやら。
なんとなく、とりあえず否定してみないと収まらない人なのかなぁと思ったりします。
人間、一時期は否定しないといけないと勘違いする時期もあるので、わからなくはないのですけどね。
ただ、正直コンテンツの発展には何も寄与しません。
だって伸ばすというところがないですし、仮に指摘の箇所を直しても多分別なところで否定意見を出してきます。
なので、モノによっては否定はなかったことにするのがお互いの為になることもあります。

逆に、肯定しつつも、ちょっと自分的に足りないところがあったかなぁというのを書いたりする場合は受け入れやすいです。
ちょっと考えてみようかなという気になります。
少なくともいいところを見つけてくれる人には応えたくなるというのが人情です。

ジャンルが好きで発展させたい、もっと色んなものを見たいのであれば、否定から入るというのは何の得にもならないです。
ココロに余裕があるのなら受け入れられる範囲は広くなると思いますし、こういうのもあるのか、と認める度量は間違いなく自分を豊かにしてくれると思うんですよね。
とは言ってもやはり好みはあるので、これはどーしてもダメってのは出てくると思います。
それはそれでしょうがないところです。
例えば自分もグロい系とかは苦手ですし。触手はOKですが

批評としても書いている人は人間なので好みが入っていると思いますんで、一番いいのは自分で確認してみることなのかなぁと思います。
どーも最近は9割はいいけど1割合わなかった場合、その1割を全力攻撃して評価最悪という風評が広がることが多い気がするんで、なんとかならんかなぁと思ったりしますが、結局書き手と受けてのモラルの話になるのでなんともならないのでありました。
まぁ、たまに擁護不能なものもありますが……

情報化社会の中だからこそ、情報リテラシーをしっかりしていきたいところです。

それではまたー