まいどどーもゆきむらです
河川敷を散歩しつつ色々考えてました。
万人を納得させることは難しいのは知っているのですが、では何かを狙いつつも誰も納得しなかった場合はどうなのか、というのがありまして。
もちろん見えてる声だけで判断するのは危険ですが、マイナス方面の意見が1あってプラス方面の意見が0だと、世間的にはマイナスになりがちです。
昨今の事情を考えると、そういう誰かが発信した情報に引っ張られるケースは非常に多いです。
これが例えばマイナスが3で、プラスが2くらいだったらまた話は変わります。
更に言えば書かれている内容(ぶっちゃけ書き方)でも変わりますが、それは流石にこちらが干渉できるところではないので各人のモラルに任せたいところ。
いくら確かにそうだな、という意見でも、聞きやすいものと聞きにくいものはあるのです。
まぁこのあたりは直接言っているわけでもないので、しょうがないところもありますが。
そんな常に誰かが見られるところで肩ひじを張る必要もないのかもしれません。
というかまぁ、そういう万人に見られる可能性のあるモノ、と認識していればそもそも書き方的に工夫するものだと思うのですが(。ω。
閑話休題
ともかくこう、マイナス方面の話があったとして、それを改善するというのはなかなか難しいものです。
というのも、単に気に入らなかった、というものに対しては手を打てません。
こういうのが好きです、とかこういうのは自分は嫌いだった、とかならそういう人も居るんだな、というのがわかるのですが。
それが例えば『これはクソ』みたいな感じの場合はどうしようもないのでモヤモヤしつつ忘れるしかなさそうです。
まぁ自分にできるのは表現したいものを明確にしつつ、その中で色々意見を取り入れつつ……ということくらいなので、そういう形でやっていくしかなさそうな気がしました。
とりあえず土日は考える時間に当ててちょーのんびりしようと思います。
それではまたー
カイ - 2017/06/04 (日) 23:59 Edit
『~はクソ』に限らず、批判しかしていない意見は根本的な考え方が異なっている気がするので、あまり参考にもならないと思いますし、気にする必要もないと思います。
ネガティブな意見自体は悪いとは思いませんが、敬意や期待を持っている人は意見も感想もある程度好意的であったり、前向きな内容になりますよね。
受け手にとっても、作り手側にはやりたいことをやって頂くのが一番なのでは、というのは私も感じているところです。